「大川小学校津波訴訟」は、本当につらくて悲しい訴訟です。

私も子供も教員をしているので、この大惨事を他人事には思えません。

子供が児童を修学旅行に引率するようなときは、「どうか、みんな無事で帰ってくるように」と祈るような気持ちです。

「大川小学校津波訴訟」

「大川小学校津波訴訟」は東日本大震災の津波で、全校児童108人中、児童74人と教職員10人が犠牲になった宮城県の石巻市立大川小学校をめぐる訴訟です。

石巻市釜谷地区の北上川河口から約4㌔の川沿いに位置する大川小学校は、東日本大震災(3月11日)で全校児童108人中、74人の児童が死亡又は行方不明となり、当時学校にいた教職員11人のうち、助かったのは男性教諭1人だけで、柏葉照幸校長(57)は午後から年休で不在という状況でした。

死亡・行方不明となった児童74人の内、23人の児童の遺族19家族が、市と県を相手に総額23億円の損害賠償を求めて訴訟をおこし、10月26日に仙台地裁(高宮健二裁判長)は、学校側の過失を一部認め、14億2600万円あまりの損害賠償を命じました。

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大川小の津波訴訟、石巻市・宮城県が控訴 原告側も検討
朝日新聞デジタル2016年11月7日12時50分

東日本大震災の津波で児童74人と教職員10人が犠牲になった宮城県の石巻市立大川小学校をめぐる訴訟で、市と県は7日、学校側の過失を認めて児童23人の遺族に計約14億円を支払うよう命じた仙台地裁判決を不服として控訴した。原告側も控訴を検討している。

特集:大川小学校津波訴訟
先月26日の地裁判決は、教職員は市の広報車の呼びかけで津波の襲来を遅くとも、到達の7分前までに予想できたと判断。また、児童とめざした川の近くの小高い場所は、移動先として不適切だったと認定した。

市や県は判決後、それぞれの議会に対し、「学校は海から約4キロ離れ、津波の際の避難所に指定されていた。教職員は津波の襲来を予想するのは困難だった」と説明。近くの裏山は崩壊の危険があるうえ、地域の高齢者も含めた全員が避難するのは難しく、「川近くの小高い場所を移動先に選んだのは精いっぱいの行動だった」としていた。

 

市と県は11月7日、仙台地裁判決を不服としてすぐに控訴しました。

しかし、石巻市長は和解について、その後、言及しています。

<大川小訴訟>石巻市長 提案あれば和解検討
河北新報 11/10(木) 10:18配信

宮城県石巻市大川小津波訴訟を巡り、亀山紘市長は9日の定例記者会見で今後の和解の可能性を問われ「二審の内容を踏まえ、もし裁判所から和解の提案があった場合にはしっかり考えたい」と答えた。

亀山市長は「今の時点で和解は考えていない」とした上で「津波訴訟に関して言えば、控訴審で和解を提示されて実際に和解が成立した裁判もある」と含みを持たせた。

仙台地裁の判決2日後に控訴方針を決めた経緯については「判決が出た26日午後7時半に判決文を受け取り、関係部署と内容を議論した。27日は午前中に判決文を精読し、午後は弁護士と意見交換して28日朝に判断した」と説明した。

今村雅弘復興相から「時間を置いてもよかったのではないか」と異論が出たことには「熟慮を重ねた判断だったが、拙速だという意見があるのは承知している。いろんな観点から、早い判断が必要だった」と釈明した。

早期決断の理由として、市議会招集の日程や市に歩調を合わせた県への配慮を挙げ「判決文は3回ぐらい通読し、重要箇所は4、5回読んだ。控訴は非常に重い判断。原告側の思いも分かるし、葛藤したが、決めざるを得なかった」と語った。

 

在籍児童の7割の74人が死亡・行方不明、現場にいた教員11人中10人が死亡するなど、想像を絶する大災害で、当事者の方々の苦しみは如何ばかりでしょうか。

生き残った家族も子供を亡くした家族も共に苦しんでいます。

 

一方、控訴を批判する原告団に対して、亡くなった教員の遺族は控訴に期待しています。

<大川小訴訟>教員遺族は控訴に期待

石巻市大川小津波訴訟で、市が控訴する方針を固めたことを受け、亡くなった教員の父親は取材に「このまま教員だけが悪者にされるのは親として惨め。市は改めて法廷できちんと主張してほしい」と期待を込めた。
仙台地裁判決は、教員の避難判断の過ちが児童の犠牲を招いたと断じた。父親は「過去に同じような判決を出した裁判長なので覚悟はしていたが、やはりショック。言葉が出ないくらいの衝撃を受けている」と打ち明けた。
司法は「裏山へ避難すべきだった」とも指摘した。父親は「裏山は昔からあった。なぜ、当時、学校にいた教職員10人だけが責めを負うのか。(津波が来たら)裏山に登ると決めておけば良かった」と疑問を呈した。

河北新報 2016年10月29日土曜日

 

亡くなった教員の父親は、市が控訴する方針を固めたことを受け、「このまま教員だけが悪者にされるのは親として惨め。市は改めて法廷できちんと主張してほしい」と述べています。

教員遺族の気持ちもよくわかります。

私の妻も、可愛い子供たちのために日頃、一生懸命に頑張っている我が子が、こんな自然災害に巻き込まれて殉職した上、子供たちの死亡の責任を追及されることは、考えただけでも恐ろしく悲しいことだと話しています。

当時、大川小学校はいざという時の避難所として指定されていた上、河口から4キロメートルも川上にあるので、安心できる場所だと考えていても無理からぬことだと思います。

しかし、亡くなった子供たちの遺族にとって何より、悔しく納得できないことは、大津波警報が発表されたあと、50分間も校庭で子供たちを待機させていたことです。しかも、学校の隣接地には裏山があり、歩いてわずか1分で裏山にたどりつけるのです。

しかも、その裏山はテレビで裁判官の実地検証を見る限り、子供でも楽々登れる山で津波を避けうる安全な位置まで、数分でたどり着けるのです。

 

この事実を知って、遺族はきっと胸の引き裂かれる思いだったことでしょう。

さらに遺族には納得できないことがありました。それは、市教育委員会が事実関係について明らかにしようとしないことでした。

生き残った男性教諭は、災害でPTSDになっており、事実関係については何も語っていないようです。また、市教委も彼からの聴取については明らかにしていません。

第一審でも、裁判長は彼に証人申請をしませんでした。

これでは亡くなった子供たちの遺族はとても納得できないと思います。

 

私は生き残ったこの教師は、「校庭における50分間」の事実をありのままに話すべきだと思います。

そして、この教師や亡くなった教師はつらいことですが、責任を免れることはできないのではないでしょうか。

 

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