北朝鮮が、マレーシア大使館員の北朝鮮からの出国を禁止するという暴挙に出ました。
ニュースでは、この暴挙をマレーシアが当初、想定していなかったと解説していますが、もしそうならマレーシアは随分、お人好しの甘あま国家ということになります。

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北朝鮮は、原爆やICBMの開発を継続し、日本海にミサイルを撃ち込むなど、ひどいもんです。
また自国内では粛清を繰り返し、国民の命など虫けら同然ですので、マレーシア大使館員・家族を人質に取るなど、お手の物でしょう。
日本も拉致問題からわかるように、北朝鮮の「人さらい外交」には、随分、ひどい目に合わされてきました。本当に許せないことです。 

思えば、こんな北朝鮮を戦後、「地上の楽園」などと誰が言い出したんでしょう。

1 軍部主導の太平洋戦争に負けた日本は、戦後、軍国主義の反省から、国民の価値観が右翼から左翼に大きくふれました。

2 私が子供・学生時代も朝日新聞など大手マスコミは、とにかく自民党・自衛隊を批判し、左翼を礼賛していたことを思い出します。

3 在日朝鮮人や日本人妻の北朝鮮への帰還事業には、朝鮮総連が大きく関与し、朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」・「衣食住の心配がない」などと宣伝し、マスコミもそれに乗っかっていました。

4 日本には、戦後も露骨な民族差別があり、結果、在日の方々は貧しい生活を強いられ、将来への展望が持てない中、「地上の楽園」宣伝とも相まって、北朝鮮への帰還事業が魅力的に映ったようです。

 

〈出典:Wikipedia〉
当時は、北朝鮮の実情について現地取材に乏しく、ソ連の援助もあって急成長する北朝鮮と、日本国内に密航して日本赤十字社、列車、船舶を爆破しようとする韓国政府によるテロ工作員の摘発事件が明らかになり(新潟日赤センター爆破未遂事件)テロ国家の韓国というイメージがあった。吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』で知り合いの帰国を喜ぶ場面があるように、一般の日本人も帰国事業に概ね好意的だった。このため、日本のマスコミは左右を問わず帰国事業を人道的な事業と捉え、新聞各紙はこぞって帰国事業を歓迎し賛同する記事を書き連ねた。

1959年12月24日付産経新聞の「暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け入れ」、1960年1月9日付読売新聞の「北朝鮮へ帰った日本人妻たち「夢のような正月」ほんとうに来てよかった」

・・・・(略)

 5 しかし、北朝鮮に帰還した在日朝鮮人の皆さんは、上記の新聞記事とは真逆の生活を強いられ、「地上の楽園」どころか、地獄の苦しみを味わうことになります。

日本の新聞社は、当時、「北朝鮮へ帰った日本人妻たち「夢のような正月」ほんとうに来てよかった」などという記事を書いていますが、取材源はどこだったのでしょうか。
そもそも、日本からの在日朝鮮人の帰還者は、北朝鮮生まれでないということで、差別的扱いを受けました。北朝鮮における身分制度である「出身成分」で、最下層に位置付けられたのです。
帰還事業で北朝鮮に渡った在日朝鮮人の女性が数十年後、脱北して、テレビで語っていました。
「北朝鮮の港に帰還船が着いた瞬間、船上のみんながだまされたことに気が付いた。港に迎えに出ていた北朝鮮人の姿がみんな痩せこけて、非常に粗末な身なりだった」というのです。
その直感には残念ながら間違いがなく、人間のありとあらゆる醜いものが存在する社会だったということです。
彼女が言うには、飢饉のときには人肉を食べる人もいたというのです。まるで、日本の江戸時代以前です。
今回は、以前から気になっていた『北朝鮮は地上の楽園』宣伝について少し調べてみました。
以上、『なるほどブログ』でした。
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