産まれたばかりの赤ちゃんに関する深刻な記事がありました。

赤ちゃんには食道閉鎖と 口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ) という奇形があったのです。

先天的な食道閉鎖ですから、手術しなければお乳がのどを通りません。

また口唇裂とはいわゆる三ツ口という奇形で、整形手術も発達しているようですが、それでも

赤ちゃんが成長すれば自分の容姿について思い悩むのではないでしょうか。

下の記事は、両親が手術を拒否して、結局、赤ちゃんが亡くなったという内容です。

 

〈スポンサーリンク〉

 

自分たちに赤ちゃんができたとき、まず願ったことは、障害のない赤ちゃんが産まれてほし

いということでした。

頭が良いかどうかは後の問題。まずは身体に異常がないことを願いました。

なぜなら誰の赤ちゃんであろうと、胎児が発生の過程でどう育つかは、まさに神様次第。

我が子だけは絶対に大丈夫という保障は誰にもありません。

産まれたとき、小さな拳の中にちゃんと指が5本あるのを見て、安堵すると同時に感動し

たものです。

 

早いものでその赤ちゃんが大人になり、結婚して身ごもった時には、もし、障害を持った赤

ちゃんが産まれたらどうしてやったらいいのか、自分の時より心配だった気がします。

 

人権や命やヒューマニズムについて論じることは、ある意味、容易いかもしれません。

しかし、我が子が障害を持っているという現実とそうでない場合との差は天地の違いよりも

大きいはずです。

手術を拒否したこのご夫婦の心中はいかなるものだったのでしょうか。

拒否した時の夫婦の態度・発言の雰囲気はわかりませんが、このドクターは、両親を批判的

に書いています。でも、やっぱり親ですから苦悩の決断だったのではないかな。

 

ドクターは児童相談所に通報して、児相の権限で親権を停止し手術をしようとしましたが

かないませんでした。

しかし、たとえ赤ちゃんの命を救ったとしても、ドクターがその赤ちゃんを育てていくこと

はできません。育てていくのは家族です。

 

軽度であれ重度であれ、障害児を育てていくには、家族には大変なご苦労があります。

テレビのドキュメンタリー番組で、60代の知的障害のある娘さんの面倒をみている高齢の

母親が取材者に現在の望みを聞かれて、「娘が自分より早く死んでくれることです」と答え

ておられました。

 

口唇口蓋裂を受け入れられなかった家族

 医師として関わってきた多くの子どもの中には、忘れられない子が何人もいます。その中で、最悪の記憶として残っている赤ちゃんがいます。前回のコラムで、障害児の受容は簡単ではないと言いましたが、それが「死」という形になった子がいました。

手術をかたくなに拒否する家族

 産科から小児外科に連絡が来ました。先天性食道閉鎖症の赤ちゃんが生まれたのです。食道閉鎖とは文字通り食道が途中で閉じている先天奇形です。当然のことながら、ミルクは一滴も飲めませんから、生まれてすぐに手術をする必要があります。食道は胸の中にありますので、赤ちゃんの胸を開く、難易度の高い手術です。
 

そして、赤ちゃんの奇形は食道閉鎖だけではありませんでした。 口唇口蓋裂こうしんこうがいれつ という奇形があったのです。口唇裂とは上唇が鼻まで裂けていることです。口蓋裂とは口腔と鼻腔を隔てている上あごが裂けていて、口と鼻の中がつながっている状態です。口唇口蓋裂は、形成外科の先生が何度か手術をすることで、最終的には機能だけでなく、美容の面でもきれいに治すことができます。

 私は赤ちゃんの家族に食道閉鎖の説明をし、手術承諾書をもらおうとしました。ところが、家族は手術を拒否しました。赤ちゃんの顔を受け入れられないと言うのです。私は驚き慌てて、どうしても手術が必要なこと、時間の猶予がないことを懸命に説明しました。ところが家族の態度は頑として変わりません。

 何とかしないと大変なことになります。とにかく時間がない。産科の先生たちを交えて繰り返し説得しても、効果はありませんでした。私は最後の手段として、児童相談所(児相)に通報しました。児相の職員たちは、聞いたことのない病名にかなり戸惑っている様子でしたが、その日のうちに、3人の職員が病院を訪れてくれました。私は両親の親権を制限してもらい、その間に手術をしようと考えたのでした。

 児相の職員と赤ちゃんの家族で話し合いがもたれました。私はその話し合いが終わるのを、ジリジリしながら会議室の前で待ちました。
ミルクを一滴も飲めないまま

 話し合いは不調に終わりました。児相の説得も失敗したのです。では、「親権の制限はできますか」と職員に尋ねると、彼らは首を横に振って「あとは先生たちで解決してください」と言って病院を去りました。

 ここから先、何ひとつ話は進展しませんでした。赤ちゃんには点滴が入れられていましたから、最低限の水分は体内に入ります。しかし、ミルクを一滴も飲んでいませんから、日ごとに赤ちゃんの体は衰えていきます。やがて、家族は面会にも姿を現さなくなりました。

 児相の人たちの判断は、あれで正しかったのか。警察に通報した方がいいのか。いや、警察は何もしてくれないだろう。21世紀の現代にこんなことがあってもいいのか……と私は 暗澹あんたん たる思いでした。

 もうあとは、餓死するだけです。小児外科と産科で話し合い、結局赤ちゃんは産科の新生児室で診ることになりました。したがって、私は直接赤ちゃんの最後の日々を目にしていません。のちに聞いた話では、一人の産科医が、時間さえあれば赤ちゃんのそばに寄り添っていたそうです。

 赤ちゃんが亡くなった後、病棟にはいつもと変わらない日常の風景が戻っていました。私にはそれが不満でした。これは小児外科や産科だけの問題ではない。家族が手術を拒否した時に、どう対応するかを病院全体で話し合うべき問題だと思ったのです。しかし、そういう問題意識の広がりはありませんでした。考えたくはありませんが、もしや医師の中にも、手術を拒否した家族に共感した人がいた、ということはないでしょうか?

 私は今になって思います。もっと別な方法はなかったのだろうかと。たとえば、障害とともに生きている子どもとか、先天性の病気を治して生きている子どもやその親たちを実際に見てもらえば、赤ちゃんの家族も手術を受けさせる気になったのではないか。この赤ちゃんの一件は、私の心の中にずっと暗い影を落としています。生涯忘れることはないでしょう。

(松永正訓 小児外科医)

〈スポンサーリンク〉