幕末は今からわずか150年ほど前。

いろいろな出来事がリアルな資料で浮かび上がってきます。

勤王の志士や新撰組にまつわる話など非常に興味深い

ものですが、当時の京の市街地は今の京都の町と

どれくらい違っていたのでしょうか。

調べて見ました。

幕末の京都の市街地

おおざっぱに現在の行政区で言うと

○「上京区のほぼ全域」

○「中京区」と「下京区」のうち、堀川通りの辺りまで。

○「東山区」の北西部の平野部のあたりまで。

ということになります。

○北方面の市街地は鞍馬口通りの辺りまででした。ですので、現在の

北大路通りの辺りは田んぼだったわけで、ましてや北山通りなど

田園風景の中にあったはずです。ちなみに北山通りも私が学生の頃は

ノートルダム女子大学の辺りまでしか伸びておらず、その先は田んぼでした。

現在の北山通りは、高野川までつながっており、その界隈は旅行雑誌に

よく紹介されていますね。

○では南方面の市街地はどの辺りまででしょうか。

七条通の辺りまで、民家が立ち並んでいたようです。

○西方面は北野天満宮や千本通りの辺りまで。

新撰組が最初に屯所とした壬生は当時、壬生村であり、田舎そのものでした。

○東方面は現在の東山通り近辺までと考えてよいでしょう。

東山を越えて、山科区まで行くと、もう京の町ではありませんでした。

 

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