節分の行事(豆まき、恵方巻)は地域によって違うの?大江山の鬼退治と豆まき。

明日は節分ですので、以前書きました節分の話を読み直しますね。

節分と言えば、「豆まき」ですが、「豆まき」は全国津々浦々、どこの町でも行われてい

るものでしょうか。

ネットで調べてみたら、いろいろな話があり、中には私の思いも寄らぬ話もありました。

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それは、「ワタナベ」さんの話です(^^♪

東北地方の渡辺姓(渡部、渡邊なども)の家では、節分で豆まきをしないというのです。

この話、私はこの歳になって初めて知りました。

渡辺綱(わたなべのつな)が、その主君である源頼光と共に、「大江山の酒呑童子」を退

治した伝説がもとになっており、渡辺綱(わたなべのつな)は渡辺姓の発祥らしいので、

「ワタナベ」さんにとっては先祖がすでに鬼退治をしているので、鬼を豆で退散させる必

要がないということのようです。

ここで、源頼光とは

主君の源頼光(みなもとのらいこう)は、京都では有名な武将で(ただし、私の世代で

は)幼い頃、童話に鬼の腕を切り取った源頼光の絵が載っていたのを今でも覚えていま

す。

京都の大江山の鬼の話ですが、今の若い人たちはおそらく、知らないのではないかな。

私の子供の頃は、子供向けの童話・雑誌にはまだ、昔話が多く載っていましたが、今の童

話は、人気のある新作童話がほとんどですから。

たとえば、「はらぺこあおむし」とか「いないいないばあ」とか・・・、ちょっとこれは

幼児向けかな😊

〈出典:Wikipedia〉源頼光

時代 平安時代中期
生誕 天暦2年(948年[1]
死没 治安元年7月19日(1021年8月29日)
改名 文殊丸(幼名)→頼光
墓所 兵庫県川西市多田神社
官位 正四位下、春宮権大進、春宮亮、内蔵頭
昇殿、備前守、美濃守、但馬守、伊予守
摂津守、大内守護
主君 藤原兼家→道長→頼通
氏族 清和源氏、摂津源氏、多田源氏
父母 父:源満仲、母:源俊娘
兄弟 頼光、頼親、頼信、頼平、頼明、頼貞、頼範、頼尋、源賢(賢快)、藤原頼親室、源敦室、藤原道綱室
養兄弟:孝道(義弟)
藤原元平娘、平惟仲養女、慶滋保章娘など
頼国、頼家、頼基、永壽、頼昭、源済政室、大江公資室、藤原道綱室、源資通室
養子:頼平頼明頼貞頼範孝道相模
〈源頼光と四天王(歌川国芳画)〉

生誕地は不明だが本拠地の多田であるか、父の満仲が天延元年(973年)頃には平安京の左京一条に邸を持っていたことから、満仲邸であるともされる。若年の経歴は不明。同時代の中級貴族と同じく20歳前後で出仕し、満仲と同じく摂関政治を行っていた藤原氏に臣従して官職を得て財力を蓄えていたと考えられている。

渡辺綱とは

幼い時、布団の中で親から鬼退治の話をしてもらった時には、鬼退治といえば源頼光(み

なもとのよりみつ・らいこう)が主人公でしたが、渡辺綱(わたなべのつな)はその家来

で、頼光四天王の一人でした。

この「大江山の酒呑童子」伝説がある京都府では、渡辺姓の家では豆まきをしないという

話は、私は聞いたことがありません。やっぱり、東北地方だけの話でしょうか。

さて、「大江山の酒呑童子」伝説の大江山(おおえやま)は京都には2か所あるんですよ

京都府宮津市・福知山市にまたがる「大江山」、それから、京都市の西のはずれにある

「大枝山または大江山」。

両方の山に鬼伝説があります。

でも、夜な夜な、京の都に現れて人々を苦しめた「大江山の酒呑童子」は、京都市の「大

枝山」を住処にしていたのではないでしょうか。

だって、宮津市・福知山市では、京の都に少し遠いと思うんですよね。

でも、酒呑童子は鬼だから、雲に乗って一瞬で遠くまで行くことができるのかな( ^^) 

Kuniyoshi Imperial Bodyguard Fighting with a Demon.jpg

〈出典:Wikipedia〉「一條戻り橋の邉にて髭切丸の太刀を以茨鬼童子の腕を斬」
(歌川国芳・画、江戸時代)

次は「渡辺綱」に関する記述です。

〈出典:Wikipedia〉
渡辺 綱(わたなべ の つな)は、平安時代中期の武将。源宛の子。嵯峨源氏の源融の子孫で、正式な名のりは源綱(みなもと の つな)。通称は渡辺源次。頼光四天王の筆頭として知られる。渡辺氏の祖。

武蔵国の住人で武蔵権介だった嵯峨源氏の源宛の子として武蔵国足立郡箕田郷(現・埼玉県鴻巣市)に生まれる。摂津源氏の源満仲の娘婿である仁明源氏の源敦の養子となり、母方の里である摂津国西成郡渡辺(現大阪府大阪市中央区)に居住し、渡辺綱(わたなべ の つな)、あるいは渡辺源次綱(わたなべ の げんじ つな)、源次綱(げんじ つな)と称し、渡辺氏の祖となる。

それから、豆まきの豆には、「殻つきの落花生」を使う地方があるということも驚きでした。

それは、北海道、東北、信越地方及び宮崎県だそうです。この地域にお住いの皆さん、本

当でしょうか。

次に、近畿地方では、恵方(えほう)巻きといって、巻き寿司(太巻き)をその年の恵方

に向かって、黙って食べる習慣があります。

我が家でも、恵方巻を食べますが、この習慣はそんなに古いものではないそうです。

最近は、この節分前になると、恵方巻のチラシ広告がたくさん入りますが、全国に恵方巻

が広まったのは、この小売店の販売促進が大きく寄与したようです。

昔は、「恵方巻」って、あまり聞かなかったですから、ちょっと調べてみます。

〈出典:Wikipedia〉
「恵方巻」という名称およびその風習は、1998年(平成10年)にセブン-イレブンが全国発売にあたり商品名に「丸かぶり寿司 恵方巻」と採用したことにより、2000年代以降に急速に広まった。それ以前は「丸かぶり寿司」「節分の巻きずし」「幸運巻寿司」などと呼ばれていたことが文献で分かるが、「恵方巻」と呼ばれていたという文献類は見つかっていない。

セブン-イレブンが、「丸かぶり寿司 恵方巻」を全国展開(平成10年)したんですね。

〈出典:Wikipedia〉
ミツカンの調査による恵方巻の認知度は、全国平均は2002年(平成14年)時点の53%が2006年(平成18年)には92.5%となり[28][29]、マイボイスコムの調査では、「認知度」と「食べた経験」に関して増加傾向となっている[30]が、「実際に食べた」と答えた人の全国平均は2006年(平成18年)の時点で54.9%である。
また、「実際に恵方巻を食べるか」についての地域差は大きく、2008年(平成20年)12月後半にアイシェアが行った調査では、関西・中国・四国にて「実際に食べる」が半数以上占めたのに対し、関東では6割が「食べない」などの結果が出ている。
2011年(平成23年)に博報堂生活総合研究所が首都圏、名古屋圏、阪神圏で調査をし、節分行事で何をしたか聞いたところ、「恵方巻きを食べた」との答えが48%、「豆まきをした」との答えが44%となり、恵方巻を食べたと答えた人が豆まきをした人を上回り、全国規模の行事として定着したことを示した。

やっぱり、恵方巻の広まりは、コンビニやスーパーマーケットの販売促進策と一致してい

るようです。

ところで、恵方はどうやって決めるのでしょうか?

恵方の方角は、その年の「干支(かんし・えと)」の「十干(じっかん)」によって決ま

るそうで、恵方と呼ばれる方角は次の4つしかないそうです。

甲の方角=東北東より少し東

庚の方角=西南西より少し西

丙の方角=南南東より少し南

壬の方角=北北西より少し北

それから、恵方って、縁起の良い方角だってことはわかりますが、何で縁起が良いのかと

いうと、恵方には、歳徳神(としとくじん)がおられるそうです。

歳徳神って、あまり聞かない神様ですが、その年の福徳を司る神様ということですので、

これは大切な神様ですね。

宝くじを買ったら、「歳徳神」様にお願いすべきかも(^^♪

結局、「恵方」は、陰陽道と五行説とが結びついた陰陽五行説で決めているようですが、

専門的に過ぎて私にはわかりませんので、次に「2018年の恵方」だけ書いておきます

ね。

2018年の恵方は、 丙(ひのえ)=南南東 です。

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