原沢久喜選手VSリネール選手の決勝戦。

まず、原沢選手は立派に戦いました。

あれだけ逃げる相手に技をかけるのは、至難の業です。
さらに、逃げ回る自分より大きい相手に対して、5分
以内に技をかけるのは不可能と言っていいでしょう。

剣道、柔道等等、武道の心得のある人にはよくわかると
思いますが、相手が逃げることだけに徹すると
その相手に技を決めたり、有効打を取ることは
本当に難しいことです。

子供が相手なら話は別ですが、体格も互角以上で
競技についてもそれなりに心得がある大人が逃げ回ると、
倒すのは本当に難しいのです。

武道の本質は、「道」にあります。
どんなに強い相手であろうとも、決して逃げたりせず
正々堂々と戦うのが武道の本質であり、そこがまた、
武道を志す者の誇りでもあり、面白いところなのです。

 

柔道のルーツは武士の武芸にあります。
武士は剣術だけを訓練していたのではなく、戦闘の場で生き抜くため
様々な訓練をしていました。
柔術や水泳術、槍術や馬術等です。

柔術は戦場での組討に必要なものでした。
また槍術は戦場で相手を倒すのにとても有効なものでした。

戦場で倒れた武士の傷は切り傷(刀傷)ではなくて、

多くが槍や刀で突かれた時の突き傷だったのです。

このように柔術は古くから武士とともにあったのですが、
それを嘉納治五郎が講道館柔道として発展させ、青少年の
教育のため、日本中、世界中に普及させていったのです。

「柔良く剛を制す」とは、どんなに強い相手であっても、決して
逃げずに捨て身で正々堂々と戦う精神を表現した言葉だと
私は理解しています。

さて、原沢VSリネールの試合についてです。

まず、主審が最低の人物でした。

あの審判をみると素人そのものでしたが、そんな人物が決勝戦の審判に当たることはないはずです。ということは彼は最初から「ある意図」を持っており、「公正な判断」を放棄していたことになります。

開始わずか8秒でいきなりの「指導」を原沢に与えました。
私は剣道・空手道を修練している者で、柔道の詳しいことは
わかりませんが、武道の立ち合いとしてみれば、あの指導も
非常に不可解なものです。

また、リネールが逃げ回っている最中に、なんと原沢に二度目の
意味不明の「指導」を与えました。(試合1分過ぎ)

観客やテレビを観ていたすべての人がその判定を不審に思いました。
会場のブーイングからもそれがわかります。

ブーイングが激しかったからでしょうか。
審判が数秒して緩慢な動作でその「指導」を取り消しました。
一体、この主審は何を根拠に原沢に「指導」を与えたのでしょうか。

私は剣道専門ですが、あのような意思不明・意味不明の審判は
あり得ません。

あの主審は何を大切にして審判していたのでしょうか。
金メダルを争う決勝戦ならば、最高の見識と技術を持った審判を
あてがうべきです。

ところが、事実としてあのような審判をする人物が出てくるのです。
今の「JUDO]界の大きな問題でしょう。

オリンピック等の世界大会はもはや「武道」としての講道館柔道とは
かけ離れた新しいスポーツとなっています。
「JJDO」としてはこういうもんだと理解していくしかないのでしょう。

しかし、多くの外国人たちが、「日本の武道」にあこがれ、「道」を
学びたいと日本に来ているのも事実です。

日本の柔道界の皆さんはもっと「道」としての柔道を国際会議の場で、
訴え続けたらよいのではないでしょうか。

今回のオリンピックや国際大会でも、柔道の実績ある解説者が
「金」だ、「銀」だとメダルの色や数だけを解説しているのを
聞くと、もっと日本人や世界の人に話すべきことがあるのではないかと
僕は思ってしまいます。

もう、ルールの範囲内なら「逃げ回ってでも勝つ」というポイント制の
「JUDO」を変えることは無理なのかもしれません。

しかし、柔道は先ほどから書いているように、小粒の選手が
大柄の選手に捨て身で攻めていくところにその精神の崇高なところが
あるのです。そこが人々を感動させるのです。

大相撲で、小粒の力士が大柄の横綱を倒すと座布団が飛び交います。
「負けを恐れない捨て身の精神性」に人々は感動するのです。

 

柔道でも剣道でも、本来、立ち姿が美しく、後姿が美しいものです。
外国の人にもその美しさや大切さは十分にわかります。

リネール選手のあの「恥知らずの姿勢・精神」は、金メダルを取っても
誰をも感動させませんでした。

ブーイングやSNSの反響からそれは証明されています。

「正義が勝つ」審判になるよう、審判員のあり方を

改善してほしいですね。

〈スポンサーリンク〉