ビニール傘と言えば、安物=すぐ壊れる、なので使い捨て、透明のビニールでできておりただ雨をしのぐだけ、急場しのぎの傘・・・と言うようなイメージでした。ところが今や全然違います。考えてみれば、ビニール地ですからカラープリントは簡単にできる、しかも雨は完全シャットアウト、ビニール地は超安価、あとはデザインとプリント経費のみ。
こんな好条件でどうしてこれまで、綺麗でカワイイビニール傘を開発しなかったのでしょうか。最初に作った人はすばらしいですね。

さて、日本人の雨傘所持数は、1人当たり3.3本で世界一とのこと。~知らなかった。

日本生まれの「ビニール傘」が世界的ブーム 人気の秘密は…
izaニュースまとめ 2016.06.18
使い捨てのイメージが強いビニール傘が、雨の日のおしゃれアイテムとして世界的な注目を集めている。高級でファッション性の高いデザインが登場。英王室御用達のブランド傘が海外セレブの間で人気だ。日本発のアイデア商品が新たな進化を遂げている。
《傘の年間消費量》
日本洋傘振興協議会の推計では1億2千万~1億3千万本。ウェザーニューズが2014年に調査した結果、世界35カ国平均の1人当たりの所持数は2.4本、日本は年間降水日数で世界13位にもかかわらず3.3本で世界一。日本生まれのビニール傘

昭和30年代に世界で初めて開発
ビニール傘の歴史は、日本の雨具メーカー「ホワイトローズ」(東京都台東区)が昭和30年代に世界で初めて開発したことから始まった。当時は徳川幕府御用達の由緒ある傘問屋だった。

昭和39年東京五輪が実質的なビニール傘元年
戦後日本の最大イベント昭和39年の東京オリンピックで、アメリカ合衆国から観光客として来日した米国大手洋傘流通のバイヤーが、日本で初めて、ビニールフィルムカバーを張った傘を発見。彼はホワイトローズに取り組みのオファーを申入れ、量産化がはじまった。

天皇、皇后両陛下も愛用「顔がよく見えるように」
現在、天皇、皇后両陛下が園遊会などの行事の際、「集まってくれた方々から顔がよく見えるように」との理由でホワイトローズ社の傘を愛用されていることも知られている。

注目が集まるきっかけは英王室

鳥かごのような独特の丸みの「バードケージ」が人気に
ビニール傘に再び注目が集まるきっかけとなったのは、英王室のエリザベス女王やキャサリン妃らが使用していることで話題となった英ブランド「フルトン」の「バードケージ」シリーズ。鳥かごのように見える独特の丸みがあるシルエットが特徴で、かわいらしい雰囲気だけでなく、顔周りをすっぽり覆ってくれるので、雨や風が強いときでも安心という利点も。値段は1本5940円~。

ウィリアム王子夫妻のビニール傘

フルトンの「バードケージ」をさして登場したウィリアム王子(左)とキャサリン妃=2012年1月8日、英ロンドン・レスタースクエアのオデオン劇場(出典:ゲッティ=共同)
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梅雨の真っ最中です。雨模様の日に、こんな傘をさして外出するのも楽しいかも!

次は、ウィリアム王子夫妻がさしていたバードケージと呼ばれる鳥かごのようなデザイン。かわいいですね。

さて、日本の雨具メーカー「ホワイトローズ」(東京都台東区)は、徳川幕府御用達の由緒ある傘問屋だったとのことですがどのような歴史があるのでしょうか。ウィキペディアによると、興味深いことが記述されています。最初は“雨傘のカバー”を販売したんですね。

(ウィキペディア)
もともとは1721(享保6)年に創業した煙草商「武田長五郎商店」が前身[1]。武田勝頼の子孫と伝えられている創業者の武田源勝政(のちに武田長五郎(初代)と名乗る)が甲斐から江戸の駒形に移り、刻み煙草の販売を始めたとのこと[2]。
四代目長五郎の時代、1825(文政8)年ごろに雨具商に転身。刻み煙草の湿気を防ぐために、箱の内側に敷いていた油紙を使って畳める雨具、今でいうレインコートを製作。これが売れ、五代目の時代には江戸幕府御用達となり、参勤交代などでも使われるようになったという。その後は番傘や人力車の帆張り、明治に入ると和傘も手掛けるようになった[2]。
第二次世界大戦後の1949(昭和24)年、9代目社長となる須藤三男がシベリア抑留から帰国。一時休業していた家業を再開するが、他の傘メーカーが先に復興を遂げたことなどからそこに入り込む余地はなかったという[2]。
当時の傘は綿などの布製が主流だったが、染色技術が未熟で色落ちして衣服を汚すことが珍しくなかった。そこで進駐軍が使用していたテーブルクロスに目をつけ、その素材であるビニールを使用した傘カバーを開発。1953(昭和28)年に発売を開始するとすぐにヒット商品となり店頭には朝から長蛇の列ができるほどだったという。しかし、ナイロンやポリエステル製の傘の登場により色落ちの心配がなくなると、布製の傘の需要はなくなり傘カバーも売れなくなった。そこでビニールそのもので傘を作ることを発想し開発に乗り出す[2]。
1955(昭和33)年にビニール傘の原型が完成。これは透明ではなく乳白色(梨地)をしていた。しかし布傘のライバルとなることを恐れた問屋に扱いを拒否されたことから売り上げは伸び悩んだ。そのため上野や銀座でウィンドを持っている店舗をまわり、委託販売を直談判したという。そのうち、1964年東京オリンピックで来日したアメリカ人バイヤーからニューヨークで販売したいという話を持ちかけられたという。雨が多いニューヨークでは、肩まですっぽりと入る鳥かご型の傘が好まるということから、見通しが利く透明なビニールを使用した傘の開発。1964(昭和39)年にそれが完成するとニューヨークで飛ぶように売れたという[3]。・・・・(以下略)

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