生理・出産前後の女性を隔離する風習は日本にもあった!

ネパールでは未だに生理中の女性を隔離する女性差別、名誉殺人の女性差別よりはマシか?」で、ネパールの差別的風習について述べました。

でも、この生理中の女性を隔離する風習は実は日本にも、つい近年までありました。

生理中の女性だけではなく、主産前後の女性も隔離するという風習です。

生理中の女性を隔離する小屋は、他屋 (月経小屋の意) と呼ばれており、出産時に隔離する

小屋は、産屋(うぶや)と呼ばれていました。(地域によっては、別の呼び名もあったよ

うです。

生理・出産は出血を伴いますので、それを不浄・穢れとして捉え、別の小屋に隔離したの

です。

この不浄・穢れ意識は平安時代にはすでにあって、人の死も「穢れ」として認識されてい

て、当時の貴族は「死の穢れ」を大変恐れていました。

ですから身内から死者が出ると、その穢れを清めるために、外出は控えねばならないと

か、お祓いもしなければならいとか、様々な取り決めがあって、貴族はもう大変でした。

現在でもその風習の名残があり、葬式から帰ったとき塩をまいて清めたり、「忌中」とい

う札を張ったりしますよね。

科学が発達していない時代ですから、「死」は本当に怖かったと思いますね。

このように人の死を恐れる気持ちは現代人の私たちにもわかりますが、生理中の女性や出

産する女性を穢れ視するのは何とも理不尽なことです。

生理も出産も、赤ちゃんが産まれるためには必要不可欠なことですし、人間として当たり

前のことですから、差別的な穢れ視をするのではなく、むしろお祝いすべきことですよ

ね。

実際に、現在でも女の子に初潮があればお祝いするし、赤ちゃんが産まれたときは家族一

同、大喜びです。

事故や戦争で出血すれば死に結び付くので、血液が出る現象を恐れてそれが穢れ意識につ

ながったのでしょうか。

さて、私の拙い話はここまでにして、次の引用を読んでみましょう。

〈出典:ブリタニカ国際大百科事典〉

産屋(うぶや)

喪屋,他屋 (月経小屋) などとともに穢れた者を社会的に隔離する小屋の一つで,出産時の女性を隔離するための小屋。産屋には2種類あり,出産の場となるとともに産後しばらく家族とは別に生活する場所となる場合と,出産後に生活する場所のみの場合とがある。村落単位で常設の産屋を設ける村が多かったが,出産後臨時に産屋を設ける場合や,また家族ごとに産屋を設ける村もあった。産婦が産屋で生活する期間は村によって異なるが,三重県志摩地方のある村では初産は 60日,2回目以後は 40日と決められていた。産屋はこのほかに山形,伊豆諸島,静岡,愛知,福井,兵庫や瀬戸内海沿岸地域に存在したが,比較的西日本の沿岸地域に多く分布していた。しかし,病院での出産の増加や医学知識の普及に伴う穢れ観念の衰退によって,第2次世界大戦後急速に消滅した。産屋の存在は産婦が家族とは別火の生活を送ることに基本的意味があり,出産の穢れ観念の強さを示していたといえる (→忌火 ) 。

次の引用は、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説です。

産屋(うぶや)
出産および産後のある期間、産婦が別火(べっか)の生活をするためにこもる小屋、または部屋。ウブヤというほか、オビヤ、オブヤなどともいい、古代には出産にあたって新しく小屋を建てたという。新潟県の佐渡ではいまでも「オビヤ(またはコヤ)たった」といえば、お産をしたということで、「猫がオビヤたった」といえば猫がお産をしたということである。産屋の歴史は記紀の時代までさかのぼって考えられるが、産の忌みということは社会生活上重大な関心事であったことから、地方として忌みの観念の強い所では、のちのちまで産屋の習わしが残った。
たとえば漁を生業とする所、神事に対して厳しい潔斎を守らなくてはならない土地(たとえば由緒ある神社の氏子の地域)などには、現在でも産屋の伝承は残っている。最近、とくに第二次世界大戦後は産の忌みの観念が急激に衰退したため、産屋を建てる例はもちろん、別棟の産屋の例も聞かれなくなったが、一部の地方には産院という別の観念で残っている所もある。現在もなお、家庭で出産する場合には、一室を産室にあてて、多くは21日間産婦はそこから出ることを許されていない。その間、火を使うことも、水を使うことも許されないが、社会の変遷でそんなことをいっていられないというのが実情となって、こういうところから忌みの観念に基づく産屋の民俗は消えようとしている。

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京都の産屋(うぶや)

上記引用の中に、『神事に対して厳しい潔斎を守らなくてはならない土地(たとえば由緒

ある神社の氏子の地域)などには、現在でも産屋の伝承は残っている。』という記述があ

りますが、京都府福知山市三和町大原の大原神社はまさにこの例です。

引用:うぶやの里・大原

京都府指定文化財
産屋(うぶや)
産屋(うぶや)

産屋(うぶや)
大原の産屋は茅葺、切妻屋根、それをそのまま地面に伏せたような天地根元造という古い建築様式で造られ、神話の世界を思い起こすような佇まいです。出産の折、十二把のワラ(閏年は十三把)を持ち込み、出入口に魔除けとして古鎌を吊り、七日籠って出産していました。
この習俗は大正年間まで続き、また、産後三日三夜籠る習慣は昭和23年頃まで続いていました。現在は利用されなくなりましたが、 産後に身体を休めた安息の場所であるこの産屋を地元では大切に守っています。
また、安産の神、大原神社の信仰の源として多くの人々に愛されています。 全国に残る数少ない産育習俗を伝える文化財として昭和60年に京都府指定有形民俗文化財に指定されました。

大原神社
大原神社

大原神社
大原神社は仁寿2年(852)の創建と言われており、三丹地方では唯一豪壮なつくりです。 社名の冠に「天一位」とつくのは、京の都より天一位の方角(乾の方角)を示しており、都の乾を守る神として創建されたのではないかと考えられています。 現在の本殿は寛政8年(1796)に当時の綾部藩主九鬼氏の庇護により再建されたものであり、当時の宮大工の精巧な技術をここかしこと垣間見ることができます。 本殿をはじめとする、幣殿、拝殿、摂社火の神神社、摂社水門神社、絵馬殿は昭和59年に京都府指定文化財に指定されました。 社務日記には愛媛宇和島藩主世子の安産祈願を始め公家や藩主の参拝や代参が送られた記録も残されています。
大原神社の詳しい紹介

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