産経デジタルニュースの「カイロ大首席卒業」囁かれた小池百合子都知事 現地取材で真相判

明(2017.6.5)』で、国際ジャーナリスト・山田敏弘氏が、東京都知事・小池百合子氏につい

て書いていました。

私は小池氏について、カイロ大学出身とか、元ニュースキャスターとか自民党を飛び出したと

か、それくらいのことしか知なかったのですが、「カイロ大学出身」ということには、がぜん

興味ありました。

「何でそんな遠い所に行ったの?しかも先進国ではないエジプトになぜ留学?」「きっと、お父

さんが外交官で、それでエジプトに縁があったのかな?」

 

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当時のエジプトは、小学校の図書館に「ピラミッドとスフィンクスの謎」みたいなタイトルの本

が並んでいるだけで、庶民が留学したり、観光で訪れる国ではなかったですね。

彼女の学生時代(1971年留学)は、まだ米ドルは固定相場で1ドルが360円もしたので、地理的

にも金銭的にも外国はとても遠い存在でした。

当時、ニクソンショック(1971年)で世の中は大騒ぎ。これで、固定相場制が崩壊したので、

彼女の学生時代はちょうど、固定相場が崩れだした時と言っていいですね。

ニクソンショック後、スミソニアン協定でドルの切り下げが行われ、1971年から1973年まで

は、1ドル=308円の固定相場になっていました。

なので、小池百合子氏の留学時代は、1ドル=308円がメインだったと思います。

いずれにせよ、円はまだ弱くて、海外旅行はごく限られたお金持ちにしかできないことで、こん

な時代に彼女はエジプトに行ったんですから、凡人ではない!

 

さて、東京都知事選で小池百合子氏は都政をガラス張りにすると訴え、対立候補に圧勝し、東京

都議会のドンを討ち果たし、都民をはじめ全国の人々の喝さいを浴びて追い風が吹きまくりでし

た。

ところが、最近は風向きが変わってきたようです。

記者会見を行うたびに、はっきりものを言わない態度、都民が答えてほしいことを先延ばしにす

る態度が見え見えなので、正直、イライラ感がつのりました。

「どうも正義感が感じられない、清潔感が感じられない」、「どことなく腹黒い感じ、ずるい感

じ」、「都民の方を向かずに何か自分の都合を優先している感じ」というような雰囲気がムンム

ンなんですね。

「都民ファースト」の支持率が下がってきたのは、私と同じような印象を彼女から受けるからで

はないでしょうか。

 

難題の豊洲市場移転問題も解決していません。小池知事は、これからどこへ向かうのでしょう

か。これから、小池百合子氏の人となりを見ていきたいと思います。

生い立ち

兵庫県芦屋市生まれ。芦屋市立岩園小学校、甲南女子中学校を経て、甲南女子高等学校卒業。在学中は、テニス部・ソフトボール部、E.S.Sに所属。高校在学中、神戸市で貿易商を営んでいた実父が石原慎太郎による将来的な新党結成を見据えた「日本の新しい世代の会」の推薦を受けて、1969年12月に実施された第32回衆議院議員総選挙に旧兵庫2区から無所属で立候補したが落選している。<出典:Wikipedia>

 

政治への興味はこの父親の影響かもしれないですね。

 

甲南女子高校卒業後に関西学院大学社会学部に入学するものの、父親の会社の都合で家族が東京・六本木に引っ越す。「国際連合の公用語にアラビア語が加わる」旨を伝える新聞記事をきっかけに、アラビア語通訳を目指すことにし、1971年9月に大学を中退して父親の貿易先でもあったエジプトへ留学。松浦良右の資金援助で両親もカイロ市で日本食レストランを経営した。カイロ市のカイロ・アメリカン大学(英語: American University in Cairo)でアラビア語を修め、カイロ大学に移って卒業した。エジプト滞在中にカイロ近郊にあるギザの大ピラミッドを登り、その天辺で茶道の形式に則りお茶を点てたこともある。<出典:Wikipedia>

 

エジプトは父親の貿易先で、両親もエジプトに渡ったということなので、エジプトは身近な存在

だったのでしょう。

カイロ大学卒業後はアラビア語の通訳として活動し、PLO議長のアラファトやリビアのカダフィ

大佐のコーディネーター兼インタビュアーを務めたというのですから、才能アリアリですね。

その後、1979年から1985年まで、日本テレビ『竹村健一の世相講談』でアシスタントキャスタ

ーを務めた後、1988年からテレビ東京『ワールドビジネスサテライト』で初代メインキャスタ

ーを務めました。(1990年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞)

 

ここまでの記述では順風満帆の人生を歩んできたように思いますが、実はそうではありません。

 

父親が商売に失敗

 

“官軍”小池百合子新都知事の勝負勘 野心の原点は父親の会社倒産、街金に追われた過去 (AERA dot. 2016/8/10)』

「父親の会社の倒産で地獄を見たことで度胸がついた。いつか見返してやるとね」

 こう語るのは、小池家と古くから付き合いがあるという朝堂院大覚氏(75、本名は松浦良右)だ。

 朝堂院氏は空調工事会社「ナミレイ」の会長として巨額の財をなし、故・後藤田正晴元官房長官や石原慎太郎氏らの“指南役”としてエジプト、アラブ諸国、フィリピンなどで活動した“政商”。一方、小池氏の父、勇二郎氏(故人)はエジプト政府とパイプを持つ石油の貿易商で、2人は四十数年前に出会ったという。

「勇二郎さんはエジプトの石油公社から石油を買いつけ、関西電力などに売る仕事をしていました。百合子さんは兵庫県芦屋市の邸宅で社長令嬢として何不自由なく育った」(朝堂院氏)

 

エジプトに留学

小池百合子氏は、お金持ちで有名な芦屋の社長令嬢だったんですね。彼女はその父親の影響もあ

って、関西学院大学社会学部を中退して、カイロ大学に留学。

 一方、無類の政治好きだった父親は、石原氏に誘われ、1969年に兵庫2区から衆院選に出馬するも落選。その後は政治に夢中になり、会社の資金繰りは次第に苦しくなったという。“厚化粧”発言の石原氏と小池氏は、父の代からの因縁があったのだ。朝堂院氏が振り返る。

「勇二郎さんは街金からカネを借りていたから、手形が出回り、ついには会社がつぶれてしまった。たちまち債権者が自宅へ押し寄せ連日、大騒ぎになりました。勇二郎さんに頼まれ、私が債務整理などをしてあげました。家族で地獄の底で苦しんだと思いますよ」

 小池一家は倒産後、東京・六本木のアパートに移り、朝堂院氏の事務所で働いたという。その後、小池家が生計を立てられるようにと朝堂院氏がエジプト・カイロに日本食レストラン「なにわ」を出店する資金を援助したという。

「父親と母親が『なにわ』を経営して、現地の日本人ビジネスマンや外国人の人気店となった。百合子さんも手伝ったことがある。その後、カイロで空手の雑誌を出したいと百合子さんに頼まれ、約400万円を出したこともありました」(同)(出典:AERA dot.)

 

町金に追いかけられたら、命も取られます。当時の取り立ては法律も未整備でしたから、今より

も過酷であったはず。漫画『ナニワ金融道』の中の被害者を地で行く苦しみだったのではないで

しょうか。

芦屋のお嬢様育ちだった小池百合子氏の心に、屈辱感と「今に見ろ」的な感情が刻まれても不思

議ではありません。記者会見の時の一筋縄ではいかない雰囲気は、こうした体験から出てくるも

のかもしれません。

 

ところで、町金に追いかけられた小池家が何とか立ち直れたのは、友人の空調工事会社「ナミレ

イ」の会長、朝堂院大覚氏(75歳、本名・松浦良右)のおかげですよね。この人物が小池家を

援助しなければ、今の東京都知事・小池百合子は存在しなかったかもしれません。

 

さて、次は小池氏が1974年、カイロ大学留学生だった時の話(産経デジタル)。

〈出典:産経デジタル〉
小池が留学していた70年代前半、カイロに暮らす日本人留学生は20人にも満たなかった。当時カイロに留学して小池と知り合った女性は、女子大生の小池をこんな風に記憶している。

「お嬢様という感じでした。華奢でほっそりして、色白で綺麗な人。喋り方も上品でした。兵庫出身なのに関西訛りもなく、標準語で話していました」

当時日本から単身エジプトの大学に留学するというのは余程の事情でもない限り、考えにくいことだった。現在のようにインターネットもなければ、国際電話も簡単に利用できるわけではない。当時カイロで暮らした日本人が言うには、「地の果て」だった。

そもそもなぜカイロ大学だったのか。別の元留学生によれば、「彼女は入学前に『国連の公用語5か国に次いでアラビア語が世界で注目されていたことでアラビア語を勉強すると決めた』と言っていた」そうだ。・・・(中略)

 

小池氏に、「学歴詐称疑惑?」が飛び交ったことがある。

小池は1971年9月にカイロの地に降り立つまで、アラビア語は一切勉強しなかったと自ら述べている。そんな状態で、いきなりアラブ諸国で最高峰のひとつとされるカイロ大学に入れるものなのか。小池が当時「仙人」と仰いでいた日本人初のカイロ大学卒業生、小笠原良治・大東文化大学名誉教授が言う。

 「カイロ大学には入学試験がなく、望む者に門戸は開かれている。それでもアラビア語のできない外国人は入れないし、もちろん授業にもついていけない」

 実際に小池は一度、アラビア語ができないために大学側から入学を拒否されている。そこでカイロ市内にあるカイロ・アメリカン大学が提供する語学特訓コースに通い、8か月にわたってアラビア語を集中的に勉強した。そして翌年、晴れてカイロ大学に入学し、4年で同大学を卒業した。

 だが難解なアラビア語が使われる大学を卒業したことについて、これまでも「本当に卒業したのか」という学歴詐称疑惑が飛び交ったことがある。小池の卒業について調べるため、カイロ大学に向かった。〈出典:産経デジタル〉

 

在籍記録では、小池百合子氏はカイロ大学文学部社会学科を1976年、間違いなく卒業していた!成績は『good』

日本語学科のアーデル・アミン・サーレ教授の話

「大学の記録では、小池さんは文学部社会学科を1976年に間違いなく卒業しています。成績は『グッド』でした。6段階評価で上からエクセレント、ベリーグッド、グッド、アクセプタブル(許容範囲)、ここまでが合格です。その下、ウィーク、ベリーウィークなら留年。つまり彼女は真ん中ぐらいの成績だった」

 アーデル教授が続ける。「1年時にアラビア語を落としているようだが補習でクリアしている。カイロ大学は今でも4人に1人は留年するが、彼女は4年間で卒業している。これはすごいこと。10月に卒業したことになっているが、普通は7月卒業なので、2か月遅れたのは卒業前にも補習を受ける必要があったからだろう。相当に大変だったのではないか」

 前出の小笠原は、イスラム教徒に改宗してエジプト社会に身も心もどっぷりと浸かり、10年をかけてやっと卒業している。そんな彼は小池がたったの4年ほどで卒業したことに驚きを隠さない。

 「アラビア語の日本語辞書がなかった時代です。アラビア語を話せなかった人が8か月の特訓後、4年でカイロ大学を卒業したというのは間違いなく奇跡です」

 いったい奇跡をもたらした小池の語学力はどれほどのものだったのか。前出の元留学生の女性は「小池さんがアラビア語を話しているのを聞いた覚えはない」と語っており、謎は深まるばかりだ。〈出典:産経デジタル〉

 

文中の小笠原氏とは、小池が当時「仙人」と仰いでいた日本人初のカイロ大学卒業生、小笠原良治・大東文化大学名誉教授のこと。

その彼が、小池が4年でカイロ大学を卒業したというのは間違いなく奇跡だと語り、かつ元留学

生の女性が「小池さんがアラビア語を話しているのを聞いた覚えはない」と語っているので、ア

ラビア語は本当に話せたのかと、疑問が生じるのももっともな気がします。

しかしながら、彼女は、通訳になってから、PLO議長のアラファトやリビアのカダフィ大佐のイ

ンタビュー経験があるんですよね。このインタビューはマスコミの前で行われたはずですので、

語学力は本物だと思うんですが、どうなんでしょう。

 

アラビア語会話は信じられないほど、お粗末なものだった。

そこでアラブ圏で最高峰のアズハル大学を卒業し、現在は通訳・翻訳家であるカイロ在住のモハメッド・ショクバに、取材などでアラビア語を話す小池の語学力について検証してもらった。

 検証材料は2011年にUAE(アラブ首長国連邦)のテレビ番組が小池を取材したものなど、いくつかのインタビュー映像だ。

 ショクバの見解はこうだ。「留学していたのが40年前だとしても、信じられない。あまりにお粗末でカイロ大学を卒業して通訳をやっていたという話を疑ってしまうほどだ。話す文章は完結しておらず、普段私たちが使うことのない単語を使っている。それでも卒業しているのだから、読み書きが並外れて優れていたのだろうと思います」

 小池のカイロ大学時代については「首席で卒業した」といった伝聞がまことしやかに囁かれてきたが、どうも実態は違ったようだ。〈出典:産経デジタル〉

 

現在、通訳・翻訳家であるカイロ在住のモハメッド・ショクバ氏によると、小池氏のお粗末な会

話力から考えると、カイロ大学を卒業して通訳をやっていたという話が信じられないとのこと。

でも、数年前、南アフリカ共和国のマンデラ元大統領の追悼式典で、オバマ大統領が演説してい

る横で、堂々とでたらめ手話通訳を演技していた黒人さん(タマサンカ・ジャンティさんという

らしい)よりは、ましですよね。

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