あの輝かしい歴史と伝統の東芝が倒産の危機!日本初の家電製品は何?

創業140年の名門企業「東芝」が倒産の危機に瀕しています。
日本を代表する優良企業の東芝が、こんなことになるなんて信じられない思いです。

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東芝の輝かしい歴史

そこで、日本の科学技術をけん引してきた東芝が、これまでに作った日本初の1号機を見ていきます。

(1)日本初の白熱電球

〈出典:東芝未来科学館

日本初の白熱電球

エジソンの指導を受けた藤岡市助の尽力により、竹フィラメントの炭素電球が明治の東京に灯りました。

藤岡市助は、1884(明治17)年、米国フィラデルフィア万国電気博覧会に国の使節として派遣された際、エジソンと面会した。電気器具の国産化を指導され、白熱電球の国産化を決心したものの、いくつかの技術的な課題があった。それはガラス管球を作ること、管球の中から空気を排出すること、フィラメントを作ることなどさまざまで、1889(明治22)年京橋の東京電燈の社宅で試作・研究を開始した。翌年4月に、電球製造の独立経営を目指し、同郷の三吉正一と共に、電球製造会社「白熱舎」を京橋槍屋町に設立した。最初は木綿糸でフィラメントを作ったが、エジソンが日本の竹を使用したと聞き、竹フィラメントの炭素電球12個を日本で初めて製造した。

白熱舎社屋
白熱舎社屋

エジソン記念碑(京都 石清水八幡宮)
エジソン記念碑(京都 石清水八幡宮

(2)日本初の電気冷蔵庫

この電気冷蔵庫は、当時、庭つきの家が一軒買えるくらい高価なものでした。
東京の庭つきの家一軒は、現在、いくらくらいなんでしょうか?

〈出典:東芝未来科学館

日本初の電気冷蔵庫

国産第1号の家庭用冷蔵庫は、内容量125L、重量157kg。
金庫を思わせる堂々たる風格の立ち姿。

1930(昭和5)年、国産第1号の家庭用冷蔵庫(SS-1200)が芝浦製作所の東京工場(現:JR大井町駅前)で完成した。

この冷蔵庫は米国GE社製をモデルに研究開発したもので、容積は125L、重量157kgと金庫を思わせる堂々たる風格であった。密閉型首ふりシリンダー圧縮機と凝縮器および制御装置がキャビネットの上に露出したモニタートップ型が特徴である。圧縮機構は1/10馬力の4極単相誘導電動機が使用され、3本のスプリングによって密閉ケース内に支持され、騒音や振動を抑える構造になっている。また圧縮機内の冷凍機油に冷媒が溶け込むのを防止する加熱手段を設けた発明が施された。米国GE社から出向中の役員に「日本の技術力では、開発は無理である。」と言われたが、藤島亀太郎等の努力により国産化に成功した。

その後、幾多の検討を重ねて1933(昭和8)年、芝浦製作所が純国産電気冷蔵庫として発売を始めた。この頃は「電気冷蔵器」と呼ばれ、少し遅れて日立、三菱も販売するようになった。

当時、冷蔵庫といえば氷で冷やすのが一般的だったが、その氷冷蔵庫を持っている家庭も少なかった時代に当社が発売した冷蔵庫の価格は720円で、庭つきの家が一軒買えるくらい超贅沢品であった。

(3)日本初の電気洗濯機

世界初の電気洗濯機は、今から約100年前、1908(明治41)年にアメリカのアルバ・ジョン・フィッシャーにより発明されたということです。

〈出典:東芝未来科学館

日本初の電気洗濯機

1930(昭和5)年、芝浦製作所(当社の前身)は国産初の撹拌式電気洗濯機“ソーラー(Solar)”の製作を開始した。自動絞り機付きの洗濯機本体は、ハレー・マシン社から技術導入するとともに、攪拌翼についてはGE社の技術者ノーブル・H・ワッツ(Noble H. Watts)の発明(特許第99044号)を採用し、最先端技術を駆使した商品であった。攪拌翼は、アルミ中空体の3枚羽根が上から下に向かって20°の傾斜があり、底部は少し広がっている。毎分約50回、200°の往復運動を繰り返す。洗濯容量は6ポンド(約2.7kg)で、価格は370円と高く、銀行員の初任給が約70円であった当時、一般の家庭での購入はできなかった。

(4)日本初の電気掃除機

走行車輪がついた国産第1号の電気掃除機の価格(昭和6年)は110円。
大卒初任給の半年分に当たる価格だそうです。

〈出典:東芝未来科学館

日本初の電気掃除機

「ほうき」に代わる電気掃除機はゴミも小さな塵も一緒に清掃したいという考えから欧米で考案された。最も原始的な掃除機は1858(安政5)年に米国のへリックが考案したじゅうたん用掃除機で、その後、1899(明治32)年、米国ゼネラルコンプレスト・エア&バキューム社が空気ポンプを利用したアップライト型真空掃除機を発明した。これは高速回転させた電動送風機を内部の空気の遠心力で移動させ、大気圧より低圧にしてゴミや小さな塵を吸引するという基本原理で、現在とほとんど変わらない画期的な製品だった。日本に輸入されたのは大正初期だが、当時はごく一部の家庭でしか使用されなかった。

その後1931(昭和6)年、芝浦製作所(当社の前身)がGE社製をモデルに開発した日本初のアップライト型真空掃除機VC-A型を発売した。価格は110円で当時の大卒初任給の半年分に当たった。この掃除機の吸込用床ブラシとモーターが一体化した先端部には走行車輪がつき、軽く手で押すだけで掃除ができるよう工夫され、また掃除し易いように柄の角度も可変できる構造になっている。

(5)日本初の自動式電気釜

電気釜になると、形状はもうほとんど現在使用中のものと一緒ですね。
1955(昭和30)年12月10日、完成した700台の販売を始めましたが、売れ行きはさっぱりだったそうです。
たかが電気釜と思うのですが、下記の説明を読むと開発は大変だったんですね。

〈出典:東芝未来科学館

日本初の自動式電気釜

この自動式電気釜の発明者は当社の協力会社である株式会社光伸社の三並義忠社長である。1952(昭和27)年、当社家電部門の松本部長から自動式電気釜の相談を受け、開発に着手した。1955(昭和30)年に完成し、特許(昭30-12352)を取得したが、その3年間の研究開発は困難を極めたものであった。

X線で結晶構造を示す生澱粉をβ澱粉、加熱によって結晶構造を分解した「のり状(糊化)澱粉」をα澱粉と呼ぶが、消化しにくいβ澱粉を、消化吸収のよいα澱粉化させることがポイントだった。98℃位の温度を約20分間続けると、釜全体の米がα澱粉化しおいしく炊ける。強火で一気に炊きあげるのがおいしいご飯の炊き方だということが判明した。

そのため、釜の水が沸騰した後、タイマーで20数分後にスイッチを切れば、理屈上はおいしいご飯が炊けるはずである。しかし試作では、芯のあるご飯やお焦げもあった。原因は釜の外気温、釜の発熱量、米や水の量によって沸騰までの時間が異なるためだとわかった。そこで、釜が沸騰し始めたことを検知し、その20分後に正確にスイッチを切るにはどうすれば良いか、試行錯誤の末、編み出されたのが「三重釜間接炊き」という方法である。

外釜にコップ一杯(約20分で蒸発する量)の水を入れ、それが蒸発した時、釜の温度は100℃以上になる。それをバイメタル式のサーモスタットが検知できればスイッチが切れることに着想した。つまり、水の蒸発をタイマー代わりに応用したもので、日本人らしいシンプルで合理的なアイデアである。ただし、この実用試験は困難を極め、光伸社の社長夫婦が、自らの製氷会社の倉庫や、寒中には自宅の庭で実験を行い、苦労を重ねやっと完成にこぎつけたものである。

電気釜販売風景

電気釜販売風景

(6)日本初のカラーテレビ受像機

白黒テレビ誕生から7年後の1960(昭和35)年、カラーテレビの本放送開始に先駆け、日本初のカラーテレビ受像機21型D-21WEを開発し、7月1日に市販を開始したそうです。
なお、カラーテレビの本放送は同年9月に始まりました。
東芝のカラーテレビの研究は、1950(昭和25)年に開始したそうです。発売までに10年もの歳月がかかっているんですね。

〈出典:東芝未来科学館

日本初のカラーテレビ受像機

白黒テレビ誕生から7年後の1960(昭和35)年9月にカラーテレビの本放送が始まった。当社は1950(昭和25)年からカラーテレビの研究に着手し、カラーテレビの本放送開始に先駆け日本初のカラーテレビ受像機21型D-21WEを開発し、7月1日に市販を開始した。翌1961(昭和36)年には国産カラー受像管純国産カラーテレビ17型17WGを開発した。1953(昭和28)年12月、米国での標準方式のNTSC方式採用が決まると、NHK技術研究所を先導に、各メーカーの技術研究部門はNTSC方式の研究に注力した。1950年代後半から60年代にかけ白黒テレビの需要が急速に拡大するなか、当社ではカラーテレビ開発も全社的な取り組みと積極的人材投入が行われた。白黒テレビのライセンスに包括して送られてくる米国RCAの資料と文献をもとに、NHK技術研究所へ日参し研究結果を確認した。米国のキーコンポーネンツをもとに、明るさ、コントラスト、色彩や解像度の向上を求め、回路や部品を一つ一つ決め試作機を作り、何度も手直ししながら動作確認をした。総合評価に必要な信号源はNHK技術研究所から毎週金曜日に出されるUHF(669MHz)の試験電波を小向工場屋上のアンテナで受け、受像機テストを繰り返した。

当時、21型の丸形受像管は米国製が主力だったが、日本の家庭に合った大きさと重量を考え、純国産のカラー受像管は17型の角形とし、1957(昭和32)年5月にNHK技術研究所を中心に国内の受像管メーカーと部品材料メーカーが集まって「カラー受像管試作委員会」が発足した。21型のRCA社製丸形受像管の調査・研究に、ガラスバルブ、シャドウマスク、蛍光体、フリットガラス、電子銃などの部品材料類や露光台などの設備、受像管組立技術の開発と試作が行われた。マツダ研究所ではカラー受像管の研究が行われ、17型の開発・商品化は管球事業部が担当した。三色蛍光面製作やフリットシール(ガラスのハンダ付)など難問を克服し、1958(昭和33)年12月25日、17型角形カラー受像管の原型が誕生した。

2カ月後の1959(昭和34)年2月18日には、試作委員会で製作された純国産部品を使用した17型カラー受像管430AB22を完成させ、国産第1号として公開発表した。翌1960(昭和35)年7月に、17型17WGに搭載し名実ともに純国産カラーテレビ受像機として世に送り出した。 カラーテレビ用真空管のラインアップは当社で段階的に揃えていき、その他数多くの部品は部品メーカーと勉強会をもち回路理論、物性論、スペース性、信頼性、原価などの議論を交わしながら仕様をまとめた。カラーテレビ受像機はこうして東芝小向工場に設置された専門工場で生産されたのである。

カラーテレビ製造ライン
カラーテレビ製造ライン

カラーテレビのカタログ

カラーテレビのカタログ

(7)こんな輝かしい伝統と実績のあった東芝が、今や身体を切り売りして、債務超過をしのいでいる状況です。

東芝病院の売却検討、地元では不安広がる
TBS系(JNN) 1/25(水) 20:00配信
東芝が東芝病院の売却を検討していることがわかりました。地域医療を支える病院の売却案に地元では不安が広がっています。

創業140年を超える名門企業が経営難にあえいでいます。東芝が売却を検討しているのは、東京・品川区にある東芝病院です。東芝病院は当初、東芝の従業員や家族の医療を目的としていましたが、現在は地域の病院としても利用されています。これまで地域医療を支えてきた病院の売却案に地元からは・・・

「(東芝病院は)大学病院よりもっと手軽に通えるという感覚」
「皆さん、この辺の人は利用してますよ。長年、ここにあるから、親しみがあるんじゃないですか」
「出産の時とか来てたので(なくなると)困りますよね、やっぱり」(病院の利用者)

また、東芝は、半導体事業の一部を分社化し、その株式の2割程度を売却するほか、東芝テックなど上場するグループ会社の株式の売却についても検討しています。

資産の売却を進める東芝。その原因はアメリカの原発事業の損失です。建設コストの増加などで、損失は最大で7000億円規模に膨らむ可能性が出ています。

「(原発)事業自体は非常に堅調である」(東芝 志賀重範副社長(当時) 去年4月)

“原発事業は自信がある”と豪語していましたが、今はその原発が虎の子の資産をむしばむ事態となっているのです。

「原発事業は切り離さないとダメだ」(東芝幹部)

東芝は、27日の取締役会で原発事業を切り離すかどうかについても議論する見通しです。

<東芝>主力の原発、崩れ 事業の見直し発表
毎日新聞 1/27(金) 21:00配信
東芝の主力事業
東芝が主力と位置づけてきた原発事業の見直しを明らかにした。3月末までに半導体事業を分社化し、外部資本を受け入れることも決めたが、原発事業の損失額や具体的な見直し策は明らかにされず、今回の経営危機を乗り切れるかは見通せない。

◇危機脱出、策見えず

「国内は廃炉や保守を中心に社会的責任を果たす。海外は今後のあり方を含めて見直す」。東芝の綱川智社長は27日の記者会見の冒頭で、原発事業の見直しを切り出した。損失を垂れ流す原発事業への対応を示さなければ、経営不安をぬぐい切れないとの危機感があったとみられる。

東芝は2006年、ライバル企業が提示した金額の2倍超の約6400億円で米原発会社ウェスチングハウス(WH)を買収。国策でもある原発輸出を拡大する狙いだった。当時の西田厚聡社長は2000億円だった原発事業の年間売上高を「今後10年で6000億~7000億円に増やす」と息巻いた。

しかし、11年に福島第1原発事故が起きると状況は一変。世界で原発建設を見直す動きが広がった。WHは16年夏時点で30年までに海外で65基を受注する強気の計画を掲げていたが、正式受注できたのは米国4基、中国4基にとどまる。米国の4基は福島事故を受けて安全規制が強化された結果、建設コストが急増し、今回の巨額損失を招いた。

東芝のWHに対する監督の甘さを問題視する声も多い。多くの関係者は「WHは東芝傘下に入っても東芝の経営介入を許さず、原発の先行きを楽観していた」と指摘する。東芝は米原発事業の実態を十分把握していなかったとみられ、経営陣が巨額損失の存在に気づいたのは昨年12月になってからだった。

こうした事態を受け、東芝は原発事業をエネルギー部門から独立させて社長直轄にし、WHの管理を強化する。海外での新規受注にも慎重に対応する方針だ。

だが、建設中の米原発のコストが今後も膨らみ、完成までの間に再び損失が生じるリスクはくすぶる。取引銀行などからは「WHを手放すべきだ」と求める声もあるが、欧米企業などはリスクの高い原発会社の買収に慎重。原発を推進する中国やロシアの企業への売却は安全保障上の懸念から難しい。

会見では原発事業の見直し策に質問が集中したが、綱川社長は「2月14日の16年4~12月期決算発表で開示する」と繰り返すにとどまった。抜本的な改善策は見えないのが実情だ。【宮島寛】

◇切り売り、細る収益

米原発事業の巨額損失を穴埋めするため、東芝は3月末までに半導体の主力製品「フラッシュメモリー」を分社化し、新会社の株式の19.9%を売って資金を調達する。しかし、優良事業の切り売りが続く結果、収益の柱がどんどん細っているのが実情だ。

「東芝グループの資本増強が可能になる」。綱川智社長は27日の記者会見で、虎の子の半導体事業を一部売却する意義を強調した。

東芝の昨年9月末時点の自己資本は約3600億円。東芝は米原発事業の損失を2月14日までに確定する方針だが、損失が現時点で見込まれる6800億円程度に膨らむと、2017年3月期決算で債務超過に陥る恐れがある。

3月末時点での債務超過を回避するため、東芝は大急ぎで分社化や新会社への出資者を決める入札の手続きを進めている。3月末までに外部からの出資で2000億~3000億円を調達したい考えだ。

だが、債務超過を回避しても経営には不安が残る。東芝は15年の不正会計問題で経営が悪化した後、原発事業と半導体事業を主力に据えて再建を進めてきた。原発事業が失速する中、半導体事業は重要な稼ぎ頭。東芝は分社後も外部からの出資比率を抑えて経営の主導権を握る方針だが、出資比率が減る分、東芝が得る利益も減ることになる。また、半導体は巨額の設備投資が必要で、韓国などとの競合も激しく、足元の好調が続くとは限らない。

東芝は経営再建のため、白物家電事業や成長株だった医療機器子会社も手放している。経営が悪化するたびに、優良事業を切り売りして決算を乗り切っているのが実情で「これから何で稼ぐのか見えない」(大手行幹部)との懸念は強い。半導体頼みを強める東芝の経営は危うさを増している。【小川祐希】

東芝半導体分社化 切り売り戦略に限界 成長の柱失い再建策描けず
産経新聞 1/28(土) 7:55配信

東芝が27日、稼ぎ頭の半導体主力商品「フラッシュメモリー」事業の分社化と原子力発電事業の縮小を発表し、巨額損失からの再生にスタートを切った。半導体と原発を柱に据えた再建シナリオを抜本的に見直す。ただ、新たな成長の柱は見えず、コーポレートガバナンス(企業統治)も弱体化。「再生」には暗雲が漂う。(万福博之)

「これを契機に再生に向かって頑張りたい」

綱川智社長は27日の記者会見でこう意気込んだ。分社する半導体新会社の買い手候補には、半導体生産で協業する米ウエスタンデジタル(WD)や複数の欧米ファンドなどが浮上。

中国や韓国の同業からの出資は技術流出懸念から避けるとみられ、現時点では「ファンドが有力」(東芝幹部)という。だが、ファンドは2割未満の出資にうまみを感じるか不透明で、着地点は見えにくい。一方、経営危機の元凶となった原発事業を綱川社長の直轄としリスク管理も強化。「底なし沼」のように損失が発生し続ける事態に歯止めをかける。

東芝は再建計画を練り直すが、不正会計問題発覚後にエアコンなどの白物家電子会社や医療機器子会社といった有望事業を切り売りしてしのいできた結果、巨艦企業の「解体」が進行しており、次の稼ぐ力を見いだすのは難しい。

利益の大半をたたき出す半導体事業にも分社が影を落とす。韓国サムスン電子などとしのぎを削るフラッシュメモリーは競争力保持に年数千億円規模の投資が必要。分社計画は昔からあったが、もともと投資資金を集めやすくするためだった。資金が損失の穴埋めに回れば、競争力強化はおぼつかなくなる。

東芝をめぐっては不正会計問題の発覚で経営陣が刷新された。今回の巨額損失は、米原子力子会社ウェスチングハウス・エレクトリック(WH)が買収した原発建設会社で想定外にコストが膨らんだのが原因。だが、東芝経営陣は、WHの原発建設会社買収から約1年間も巨額損失を把握できず、ガバナンスは弱体化したままだ。再建には暗雲が立ちこめている。

東芝・志賀会長退任へ、原発事業損失で責任
TBS系(JNN) 1/28(土) 13:13配信
アメリカの原発事業で7000億円規模の損失が出る見通しとなった東芝の志賀重範会長が、退任する方向となったことが分かりました。

関係者によりますと、東芝は志賀重範会長を退任させる方向で調整しています。アメリカの原発事業で7000億円規模の損失が出る見通しとなった問題の経営責任を明確化するためです。

志賀会長は現在、原子力部門を統括していて、一時は巨額の損失の原因となったアメリカの原発子会社・ウェスチングハウスの社長も務めていました。近く指名委員会で正式に決定し、会長職は当面、空席とする方針です。

また、ウェスチングハウスのダニー・ロデリック会長も退任する一方、東芝の綱川社長は続投する方向で、来月14日にも発表する方針です。

次の「クロ現」の記事は興味深いです。

東芝も、結局、2008年に起きたリーマンショックを克服できなかったということでしょう。
このとき、有能なトップを担いでおれば、もっとより良い展開になっていたと思います。

しかし、科学的なデータからその意味を読み取ることのできない、かつ部下をヒステリックに怒鳴り散らすだけの無能な人がトップになったことが、破滅への第一歩になったのでしょう。

でも、歴史に「たら・れば」を言っても、もう元には戻りません。

東芝 不正会計の衝撃 ~問われる日本の企業風土~

2015年7月29日(水)放送 NHKクローズアップ現代

不正会計の責任を厳しく問われた歴代3人の社長。
名門企業で何が起きていたのか。
私たちは100人を超える幹部経験者を取材。
20人が匿名を条件に内情を明かしました。

子会社 元社長(取材メモより)
“西田さんのころから数字を細かく気にするようになった。
社内の雰囲気は明らかに変わってしまった。”

元執行役(取材メモより)
“佐々木さんからは厳しく叱責され、“利益を出せ”とか抽象的な指示を受け、とても嫌な思いをさせられた。”

元執行役(取材メモより)
“田中さんは対外的に必要以上に高い目標を公表してしまう。
下のものが『そんな数字無理でしょ』っていうくらいの。”

東芝に異変が起きたのは、西田氏が社長だった2008年のリーマンショックのころでした。
世界的な景気悪化で売り上げが激減。
過去最悪となる3,435億円の赤字に陥ったのです。
この時期から、西田氏は業績を上げるよう部下たちに強く迫るようになりました。

東芝はパソコンや電力システムなど、事業ごとに独立採算とする「社内カンパニー制度」をとっています。
社長が、この各カンパニーを統括する仕組みです。
西田氏は月に1度、社長月例と呼ばれる会議に各カンパニーや主要子会社の責任者を呼び寄せました。

西田氏は、具体的な金額を挙げて「利益を死守しろ」などと発言。
利益をかさ上げする会計処理が行われるようになりました。
子会社の元社長は、会計のチェック機能が働かなくなっていったといいます。

子会社 元社長(取材メモより)
“西田さんはあからさまに『経理なんて言われたとおりに数字をつけておけばいいんだ』と発言し、そうした考えがほかの幹部の間でも広がっていった。
西田さん以来、経理の立場が弱まった。”

利益のかさ上げが最も大きかったのが、パソコン部品の取り引きを利用した不正でした。
当時のパソコン事業の営業利益の推移です。
6月、9月、12月と3か月ごとに大幅に利益が上がっています。
四半期決算のタイミングで利益のかさ上げが行われていたのです。

その方法です。
決算直前に、パソコンの製造を委託していた会社などに高値で部品を買ってもらい、一時的に利益を確保します。
決算後に完成品を買い戻すため、逆に利益が減ります。
再び決算前になると部品を高値で売り、見せかけの利益を計上していたのです。
社内では「押しこみ」や「借金」と呼ばれていました。

不正会計は、2009年6月に西田氏から社長を引き継いだ佐々木氏の時代に、さらにエスカレートしていきます。
その一因となったのが東日本大震災後の経営環境の激変でした。
経営の柱としていた原子力事業の先行きが見通せなくなったのです。

東芝 佐々木則夫社長(当時)
「世界中で原発反対と言われれば、東芝の経営の柱のひとつと言っても成り立たない。」

佐々木氏は社長月例の場で、決算までの3日間で120億円の利益を出すよう迫るなど、不可能な要求をするようになりました。
しかし、社長に反論する人はいませんでした。
会議に出ていた元取締役の証言です。

元取締役(取材メモより)
“私としても『こんなことでいいのだろうか』と正直思った。
ただ、自分が何か発言すればどうなるというレベルの話ではなかった。”

このころになると、本来会計をチェックすべき部門が、社長の意をくんで現場に圧力をかけるようになっていったといいます。

子会社 元社長(取材メモより)
“財務部の社員が、『社長はこの部分について攻めてくるぞ』とか『ここはきちっと準備したほうがいいぞ』といったアドバイスをしてくる。
社長の分身みたいな存在。
社長の意に沿う数字を作ることに一生懸命になってしまった。”

内部のチェック機能がまひし、歯止めが利かなくなった東芝。
他社に先駆けて外部の目で不正を防ぐ仕組み、監査委員会を導入していましたが、これも機能しませんでした。
5人の委員のうち3人は社外取締役で、経営を監視して問題を見つけた場合は是正を求めるのが役割です。
しかし、会計の専門家は含まれていませんでした。
社外取締役を務めた人物の証言です。

元社外取締役(取材メモより)
“自分も頼まれたから務めていただけ。
社外取締役が専門家じゃないとだめなんじゃないかとか、それは自分に言われても困る。”

別の元社外取締役は、不正の発見につながるような情報は一切提供されなかったといいます。

元社外取締役(取材メモより)
“社内の悪い話を外部の私たちに積極的に出していくことは現実的には考えにくい。
監査委員会で出された資料を基に不適切な経理を見つけることは難しい。”

東芝 田中久雄社長(当時)
「心よりおわびを申し上げます。」

田中社長の時代も、利益のかさ上げは続きました。
誰も止められないまま7年にわたって続いた不正会計。
その総額は1,500億円を超えました。

東芝 不正会計の衝撃 問われる企業風土

ゲスト澤邉紀生さん(京都大学大学院教授)
●組織的な関与 どう見る?

東芝のような日本を代表する、しかもコーポレートガバナンスでも、先進的な試みを次々とやっている、いわばトップランナーの企業でこういう会計不正が起きたというのは大きなショックでした。
ただ、この報告書を読みまして、その中身を見ていきますと、これは恐らく東芝だけの問題じゃないなと、日本の優良な企業でも、あるいは優良な企業であればあるほど、トップが会計あるいは利益について間違った考え方を持つと、こういったことっていうのは起こってもおかしくないなというふうに思っています。
(そのトップがなぜこうした間違った考えを持つようになる?)
一番大きな間違いというのは、利益は操作できる、利益は会計操作でどうとでもなるというふうに思ってしまったところではないかなと思います。
というのは利益というのは、会社にとっては、あるいは社長にとっては成績表のようなものなんです。
それを自分で成績を書き直すことができる、こういうふうに思ってしまうと、いったん始めたうそを次々と重ねていかなければいけなくなる。
そういう深刻な問題があって、それが長年続いた結果として、東芝ではこういうようなことになってしまったんだろうなというふうにいえるかと思います。

●経理・財務部門が異を唱えられず関係者が社長の意に沿う数字を作るように なぜこういうことが起きる?

これはもうひと言でいうと、残念ながら会社人間でしかなかったと。
本来ならば経理・財務のプロとして、高い倫理観・使命感を持って仕事をすべき立場の人たちが、これはどうしようもないことかも分かりませんけれども、日本の企業風土では、会社のため、でも会社のためといっても会社のためではなく、社長のためというレベルで仕事をせざるをえなかったということではないかなと思っています。
(ほかの従業員の背信行為にもなり会社のためにならない、いわば倫理観というものもあると思うが?)
そうですね。
ところが日本の場合には、「就社」するというんでしょうか、就職するとはいえ、会社で勤め上げるというのが、特にエリート層においては理想になっています。
そのもとでは、社内で頑張れば頑張るほど、長年勤め上げれば勤め上げるほど、社内独自の会社の中での狭い倫理観に染まっていき、社会全体の倫理観からずれてしまっていることに気付かないということがあってもおかしくない、そういう事例ではないかなというふうに思います。

●社外取締役が5人のうち3人を占める監査委員会でもチェックが利かなかった?

そうですね。
この監査委員会は、委員会と設置会社の1つの大きな仕組みとして、社外取締役がその実力を発揮する場所のはずなんですけれども、残念ながら、東芝の場合には、監査委員会の委員長が歴代の財務の最高責任者が横滑りしてきてしまったということがあるので、どうしても止められなかった。
(その財務責任者は、もともと不正会計の処理に関わっていた?)
というような人たちなわけで、これは仕組みとしては外部の仕組み、社外の取締役に活躍してもらう仕組みのはずなんですが、実質としては社内のしがらみに縛られた、そういったものになってしまったと。
仏を作っても魂を入れないという、そういう話ではないかなというふうに思っています。

●最後のとりでの外部監査法人 こうした不正会計は見つけやすい?

これはいろいろな大きな会計不祥事と比べますと、今回の事例というのは比較的、多くの部署において繰り返し行われていたような、そういう会計操作になっています。
ですので、本来ならばこれは難易度としては発見することが容易だったような種類の会計操作、会計不正だというふうにいえるかと思います。
言ってみますと、これは、この点については、今回の第三者委員会の報告書というのは対象として扱っておりませんので、この点については、さらなる調査が必要だというふうに、私、会計の専門家としては感じております。
(今回の報告書では手続きやその判断に問題があったか否かは取り上げていないが、本当にうみが出しきれたかどうかというのは?)
そこのところは、今回の調査だけで結論を出すというのは、まだ時期尚早ではないかなというふうに思っております。

外部の目で 経営を監視

電子部品や医療機器などを製造するオムロンです。
4年前、外部の目を入れて社長を選びました。
就任した5代目の山田義仁さんです。
オムロンでは、創業家出身の社長が3代続きました。
4代目は創業家出身ではありませんが、前社長の指名でした。
経営環境が大きく変わる中、5代目の選任にあたっては社内のしがらみにとらわれない社長指名が必要だと考えました。

オムロン 取締役室長 北川尚さん
「トップ人事がいちばん難しいし、企業を持続的に成長させていくという観点でこの人事がいちばん上。
そこに社内だけの論理でいくと甘さが出る。
そういった意味で社外の方に入ってもらい、客観性をもって実行していくことが重要。」

会社では社外取締役をトップとした「社長指名諮問委員会」を設置。
社長の実質的な選出を、初めて社外の人間に委ねることにしたのです。
委員会のトップに選ばれた経営コンサルタントの冨山和彦さんです。
粉飾決算で経営危機に陥ったカネボウや日本航空の再建に携わりました。

オムロン 社外取締役 冨山和彦さん
「稼ぐ力を本来の力よりよく見せたいという思いをトップが持つと、これは(不正の)指示が行きますから現場は抵抗できない。
最終的にはトップの問題、会社は頭から腐る。
そういう指示を出す経営者を選ばないこと。」

社内で次期社長候補に選ばれたのは10人。
そこから社外取締役の冨山さんが中心となり、2年半かけて候補者一人一人の適性をチェックしていきました。
取締役会での発言や部下との接し方。
さらには飲み会での様子まで徹底的に調べ上げ、3人にまで絞り込みました。
さらに半年かけて面談を重ねた結果、所属する部署は主流ではありませんでしたが、海外での実績を評価し山田さんを選んだのです。
社長就任後も、短期的な利益を追い求め過ぎていないか、部下の意見にしっかりと耳を傾けているか、冨山さんは山田さんを監視していきたいとしています。
万が一経営トップが暴走した場合、社外取締役は解任を迫る覚悟が求められるといいます。

オムロン 社外取締役 冨山和彦さん
「取締役会が現執行部、特に社長を監督する最大の最終的な武器はいざとなったら解任動議を出せるということ。
それが仮に過半数持っていないから否決されても、立派な上場企業で社外取締役が解任動議を出したらニュースでしょ。
だからそれはものすごい威嚇力を持っている。」

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●社長の暴走を防ぐ取り組み、どう見た?

その点についてはまず2つあると思うんですね。
1つは、どういうような基準で社長を選ぶか。
それともう1つは、選んだ社長がきちんと仕事をしているかをどういうふうにチェックしていくかと。
最初のほうの社長の選び方なんですけれども、オムロンさんのケースは、これは大いに参考になると思います。
社内の狭い論理で選ぶのじゃなく、グローバルな、また将来を見据えて大きな基準で選んでいくと。
これはいってみると、その「ガバナンス」ということばのもともとの意味あいからも理解できるかと思います。
ガバナンスというのは大海原で船のかじを取るという意味で、社内の論理で人を選ぶ場合には、瀬戸内海、あるいは琵琶湖でヨットに乗る人のかじ取りを選ぶと、そういうレベルの話で、それに対してグローバルな基準で選ぶというのは、太平洋の荒波にもまれても大丈夫な、そういうような船主・かじ取り役を選ぶということで、この部分というのはすばらしい試みだなというふうに思います。
もう1点のほうが社長を選んだあとどうするかと、こちらについては社外取締役がある種バランスの取れた緊張関係、建設的な緊張関係を社長を持つということが必要かなと。
それを持つためには、社外取締役はいざとなればいつでも解任動議を出せると。
別の言い方をすると、いざとなればいつでも自分を選んでくれた会社を離れてもいいんだという、そういうような胆力、肝が据わった心と実際にそれができるような環境を持った人ということが重要かなというふうに思います。

●どうすれば風通しのいい企業になれる?

これは、1つの会社だけで努力してどうにかなるような話ではないように思います。
やはり社内外の風通しをよくしようと思うと、会社の外部との交流、会社の中だけで成長するのではなく会社の外でも成長できる、そういうような機会を社会のほうで用意していく必要があるんじゃないかなというふうに感じております。
具体的にはエグゼクティブ・エデュケーションであるとか、あるいは幹部を教育する機会というのが、社会全体の中で当然のようにあって、会社のほうでもそういう場所に社員を送り込むことによって内外の風通しをよくする。
これが大事なのではないかなというふうに考えています。
(会社の倫理に染まらず、本当に社会の倫理にきちっと向き合える人?)
そういう人物を養成していくというのが、とても大事な課題だと思います。

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